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ばぁちゃんがいなくなったので

ばぁちゃんがいなくなったので

 2021年暮れから2022年前半にかけて、遠くや身近や、さらにものすごい身近なところで、”死”について実感する事が起こりました。
 『遠く』や『ものすごい身近』については、またの機会に書きたいと思います。

 今回は身近な死について。

 4月に私のばぁちゃんが亡くなりました。
 時々、病気や怪我による入院はあったものの、90歳位まで嘉麻市の自宅で一人暮らし。
 1人での歩行が危なくなったので、以降は施設に入りましたが、入ってからも元気に過ごしていました。
 亡くなる1年位前から、急激に老けこんで記憶も曖昧になり、以降、少しずつ弱っていき、最期は眠るように亡くなったそうです。
 
 さて。
 感傷にひたるのも束の間、次にやってくるのは、この世にいる人達による、この世を去った人が残していった物の『片付け』です。

 近年、よく『終活』という言葉を耳にします。
「終活ね~そうね~大事ね~」
 なんて、これまでは軽く聞き流していましたが、実際に残された大量のものを目にして、いかに終活が大事かを思い知りました……。

 ばぁちゃんは施設に入っていたものの、自宅は残したままでした。当然、自宅にある物も。
 ……ばぁちゃんが約95年分残していった物の片付けは、物理的にも心情的にも、ほんともう大変で、そう簡単には片付きません。
 廃墟探索サイトで、よく夜逃げでは無さそうにも関わらず『物が残されたままの廃墟』なんて見ますけど、……んまー片付ける側も高齢なら、段々としんどくなって、フェードアウトしていっても仕方ないような気がします。

 このカテゴリ名『片付かないオモチャ箱』は、私の部屋の事です。この、なかなか片付かない部屋のオモチャを片付けたり、増やしたり(?)など、この部屋での出来事を紹介していく予定です。

 自分の持ち物に感謝しながらお別れ出来るのは、自分だけですし、生きている今だけだと思います。
 年齢が高くなってゆくと共に、物を減らしてゆく、という心構えを忘れないようにしたいと思いました。

 ところで、ばぁちゃんが残した物の一つに、『大量の小銭が入った缶カン』があります(あるある)。
 この小銭は銀行のATMに何とか入金したのですが……この缶カンがまた捨てにくい……。

ディズニーシーの缶カン……これは捨てにくい
ディズニーシーの缶カン……これは捨てにくい
この記事を書いた人
主に街中徘徊担当。飲食店の開店、閉店に敏感。
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